月の懺悔と癒しの女神



水の都、マーナ。
オリス・ルート最大の湖、マナ湖に浮かぶ水上都市だ。
防衛都市として優れた能力を持ち、聖ヴァチスカン教国軍の主要な拠点のとなっている。
湖の外には深い森があり、その森の向こうには、二千年もの間戦い続けている敵国、ベルクヘヴン帝国がある。
いわば、戦の最前列・・・だろうか。
もちろん協定などはなく、国境もはっきりとは決まっていない。
ただ出会い、殺し合う。
戦場がマーナ近辺になることもあるし、攻め入ることもある。
森の中で戦うのは日常茶飯事だ。
それが、戦争・・・。

「そして、それをするのが人間・・・小さな命を持つ者たち。」

聖ヴァチスカン教国の神、ヒュギエイアはつぶやいた。
マナ湖の底。
人は決して踏み入れることのできない、ここは神の聖域。

「それでも、君は救いたいんでしょ?」

自分しかいないはずの空間に響く、懐かしい声。
ヒュギエイアはゆっくりと振り向いた。

「いらっしゃい、月夜霊。お久しぶりね。」

「久しぶりだね、エイア。」

何もない空間に、突然光があふれた。
あふれているのに優しい、不思議な光。
暗闇の中、いつだって見守ってくれている、それは加護の光。
やがて、光がおさまった時・・・月の神、ツクヨミがそこにいた。

「君の守護者は元気かい?」

相変わらずの無表情で、少年はつぶやいた。

「ええ、元気といえば元気よ。覇気はないけれど。」

「そう。ま、君の守護者が病気になるとは思えないけどね。」

予想通りの答えに、ツクヨミはやっぱり無表情につぶやいた。
ヒュギエイア。司る力は、癒しと再生。
健康の女神、医療の女神とまで言われる神の守護する者が、風邪なんてひいてたら・・・ねぇ。

「それで、どうしたの? 理由もなく尋ねてくれるあなたじゃないでしょう?」

「それはひどいな。僕が親友の所に遊びに来ちゃだめか?」

「じゃあ私に会いに来たの?」

「違うよ。」

表情と同様に、抑揚のない声で少年は言った。
まったく、ふざけているのか真面目なのか・・・返事に困るわねぇ。

「まぁ、そういう神だとは思っていたけれど。で、何かしら?」

「ああ、神破奴に悠久の魑魅がでたんだ。」

無表情に、ツクヨミは続けた。

「へぇ。それで、私に何・・・・を・・・ぉぉぉぉぉぉ!?」

とんでもないことを聞いた気がして、ヒュギエイアは思わず声を上げた。
今、無表情に、とんでもないことを、言わなかった、かしら・・・。

「えーと、ツクヨミ?」

「何?」

「悠久の魑魅・・・魍魎って、言ったかしら?」

「ああ。間違いないよ。とりあえずは僕と姉さんの守護者が倒したけど。」

聞き間違い・・・では、ない?
やっぱり無表情な少年を、ヒュギエイアは主義に反して殴りたくなった。
もちろん実行はしないけれど。

「ああもう! なんで今なの!?」

殴る代わりに、少女は自分の髪をかきあげた。
悠久の魑魅の出現。
それは、小さな命を持つ者たちの幸せを願う神にとって、二千年もの間恐れていたこと。
やっと・・・希望が見えてきたのに!

「で、だ。希望を潰させないために、協力してほしいことがある。」

「・・・そうね。二千年もの間、待ち続けた希望は潰させない。」

暗黙の了解でうなづくと、ヒュギエイアは光を纏って消えた。
残された少年は、湖に浮かぶ都市を見上げ・・・黙って頭を下げた。

「ごめんね、守護者たち。君達の意志を・・・僕は、壊すことになる。」

自分が連れて来た、鳶色の髪と瞳を持つ少年。

『世界を救いたい。』

『人々の幸せを取り戻したい。』

それは、結局僕らの意志の押し付けなのに。
君と、君に親しい人には不幸でしかないのに・・・

「ごめんね、こんなに自分勝手な神で。」

それがわかってて、使う。
目的のために・・・道具として。

「大多数のための、生贄・・・か。」

昔、とある親友に言われた言葉を思い出す。
このやり方が正しいとは思わない。
でも・・・それでも、僕は・・・
しばらく頭を下げ続けた後、月夜霊は、光を纏って消えた。


―聖ヴァチスカン教国 by,フィリア―


青く、淡く、澄んだ水がいっぱいにたまっています。
湖がこんなにも綺麗で青いのは、空を映しているためらしいです。
水鳥たちが舞う中、風は優しく頬をなでていきます。
水面は小さく波を作り、不思議な音色を響かせます。
ときおり、魚のはねる音がパシャっと届くのが、不思議と気持ちいいです。

「はわぁ〜。平和です〜。」

湖のほとりで自然を満喫しながら、少女はつぶやいた。
ホント、朝の森というのは気持ちがいいです。

「こうして歩いていると、毎日ここで人が死んでいくなんて・・・信じられないです。」

つい先日の戦を思い出し、少女は少しため息をついた。
魔法でもなく、精霊術でもない・・・不思議な特殊能力。
ある程度の傷を癒せる能力のおかげで、少女は医療部隊に所属していた。
戦場に直接出ることはないけれど、毎日兵士たちの手当や看護で大忙しだ。

「世界は、こんなにも綺麗ですのに。」

平和で静かな湖を眺め、少女は嬉しそうに笑った。
こうしていると、心が暖かくなってくるです。
もっと、いろいろな人にこの気持ちを感じて欲しいです。
平和は、こんなにも幸せなんだって・・・

「そうすれば、こんな戦いなんて・・・しなくてすみますよね。」

湖から綺麗な白い水鳥が、一斉に飛び立った。
美しく空を舞う様子をぼーっと眺めながめてみる。
私は、こんなにも・・・幸せです。父様・・・。

「あ・・・そろそろ戻らないと。また朝ごはんに間に合わなくなっちゃいます。」

見上げた視線の向こうに、太陽が見えた。
その高さからだいたいの時間を予測し、少女はあわてて都の門へと向かう。
けれど、途中で妙な物体を見つけてしまった。

「・・・死体、じゃないですね。どうしましょう?」

ここは戦場。
別に、人が倒れていても、不思議なことなんてないですけど・・・

「兵士には・・・見えないです。しかも、教国でも帝国の人でもないです。」

不思議はないが放っておくわけにもいかず、少女は少年を仰向けに寝かせた。
いつもの癖で状態を確認し、今ある道具で的確な応急処置を施す。

「この服装は・・・神破奴ですか。」

最後に癒しの能力で傷をふさぎながら、少女はつぶやいた。
教国の人なら保護義務がある。
帝国の人なら捕虜にする。
もし、関係ない一般人なら・・・どうしましょう。

「とりあえず、私の部屋に連れていきましょうか。」

少女は、傷を負った少年を背負って都へと走った。


―by,レオン―


「・・・っ!」

海色の髪に、同じく鳶色の瞳。
レオン・アシュファ・ウッドフォードは、ベッドから跳び起きた。
そして、慌てて周囲を見渡して・・・

「はぁ・・・?」

気が抜けた。
サラの偽物に薬でやられて、夢で神様に出会って、起きたら・・・ここはどこだ?
全然まったく状況がつかめない。

「サラの部屋・・・じゃ、ないよな。」

普通に考えれば、自分は偽物に捕まったんだろう。
神様に出会ったのは夢のような空間だったし、時間軸がどうのこうのと言っていた。
じゃあ、ここは・・・偽物の部屋か?

「・・・、やけに少女趣味というか・・・ここまでくるとな。」

少しだけ落ち着いて、改めて部屋を見てみる。
自分が寝ていたベッドの縁にはぬいぐるみがずらり。
基本的にかわいい装飾品で部屋が埋まっていて、おとぎの国に来たような感覚だ。

「で、自由だしな。」

次に自分の状態を確認して、レオンはまた首をひねった。
レオンはシャドウの一員、神破奴を代表する魔法剣士だ。
目的が何であれ、捕らえて拘束具の一つもつけないのは・・・

「さっぱりだ。だいたい、この部屋だって・・・結界の一つもありゃしない。」

体を伸ばして固まった筋肉をほぐし、思いっきり深呼吸。
わからないことは考えても仕方がない。

「さて、ちょっと散歩でもして来るか。」

レオンはベッドから降りると、見知らぬ部屋を後にした。




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