神の祈り



―水の都マーナ、by,レオン―


おいおい・・・どういうことだ?
遠く、海鳥の声を聞きながら、レオンは忙しく頭を回転させていた。
自分を森で保護したらしい少女と、見知らぬおばさんはまだ世間話を続けている。
ただの、世間話。
しかしその内容は、今の少年にとって聞き逃せるものではなかった。
神破奴では戦というものはない。
さらに、隣国のイグラット王国でも戦争は基本的にない。
となると、太陽の位置と気候から考えて、おそらくは・・・聖ヴァチスカン教国だろう。
しかも最悪、戦列の最前線・・・水の都、マーナか。
俺の服装も・・・まさか、本当に聖マーナ騎士団のものだろうか?
くそっ、やっかいなことこの上ないな。
戦争に巻き込まれるのだけは避けたいが・・・戦争が小康化するほど魑魅が出てるのもやっかいだ。
地理もよくはわかってないし・・・ヘタに街から出られないじゃないか。

「レオンさん? 行きましょう。」

「え? あ、ああ。ごめん、ボーとしてた。」

世間話は終わったらしく、フィオナが少し先に行ったところで手招きをしていた。
レオンは思考を中断させると、軽い小走りで駆け寄った。

「あ、そうだ・・・。」

途中、ふと思いついて、速度を落とさずにフィオナの横を駆け抜ける。

「はぇ? レオンさ〜ん?」

後ろで自分を呼ぶ声がしたが無視。
そのまま、自分が寝かされていた家までダッシュ・・・

「ぴぎゃふ!」

しようとして、悲鳴が聞こえたので立ち止まって振り返る。
先に戻って自分の持ち物がないか家捜ししようとしたんだけど・・・な。
せめて、着ていた服に隠してある短剣だけでもあれば違う。
けど・・・この子を置いて行くのは無理っぽいな。

「ごめん、大丈夫?」

「あぅ・・・。急に走らないでくれると、嬉しいです。」

「うん、もうしない。ごめん。」

一人にするのが危なっかしすぎる少女を助け起こすと、レオンは気づかれないようにため息をついた。
仕方がない、この子の目を盗んで家捜しするか。
直接聞いてもいいけど・・・なんか、服に隠してある短剣だからな・・・
最前線の都で見知らぬ男がそんなものを持っていれば、立派なスパイだ。
捕まって拷問にかけられたっておかしくない。

「約束ですよ。んと・・・そうですね、こうしちゃいましょう。」

「は?」

「急に走らないようにと、転んでも平気なようにです。」

「い・・・いや、ちょっと・・・」

フィオナは恨めしそうにレオンを見つめると、いきなりレオンの手を握った。
確かに、これなら急に走ろうとは思わない。
フィオナが転んだとしても、助けてやれる。
でも・・・なんていうか、近い年代の異性に手を握られるのは・・・サラだってしないのに。

「じゃあ行きましょう。もうすぐです。」

「え? こ、このまま行くの?」

「もちろんです。もう走らせないです。」

どうやらご立腹らしい少女は、レオンのとまどいを無視して歩きだした。
別に、転んだのは俺のせいじゃないと思うけど・・・
そう思ってもなんとなく口には出せず、少年は仕方なく横に並んで歩きだした。


―水の都マーナ、by,フィオナ―


「はぇ〜、よく食べますね。さすが男の子です。」

「ん・・・フィオナはもういらないの?」

「もうお腹いっぱいです。よかったらこっちもどうぞ。」

「ありがと。これ、本当に美味しいよ。」

お仕事場の朝食の時間に遅刻してしまったので、結局私が朝ごはんを作ることになりました。
レオンさんも手伝ってくれたのですが、不器用なので大半は私です。
父様が死んで以来、二人分作ることなんてなかったですけど・・・

「美味しいですか? えへへ、ありがとうです。」

やっぱり、ご飯は人数が多いほうが楽しいです。
レオンさんはちょっと意地悪なところもありますけど・・・。

「さて、と。ごちそうさまでした。」

「はい、どういたしまして。あ、お片付けは私がやりますよ。」

「いや、準備は全然手伝えなかったし・・・このくらいはやるよ。」

そういって、レオンさんは机の上のお皿を全部片付けてくれました。
うん、やっぱり優しい人ということにしておきましょう。
フィオナは手帳を取り出すと、今の出来事と気持ちをメモした。

「さて、私はお仕事に行ってきますけれど・・・レオンさん、どうしますか?」

「ん・・・そう、だね。」

レオンさんは困ったように天井を見上げると、何やら考え込んでしまいました。
何か、困ったことがあるのでしょうか。

「あ、そうですね。その服では目立っちゃいますよね。」

「へ? あ、ああ。もしかして、これは聖マーナ騎士団の制服?」

「惜しいです。聖マーナ医療部隊の制服ですね。私の服ではサイズが合わなかったので、父様の服です。」

「うわ・・・そっか、これって本物だったんだ・・・。」

驚いて着ている服を眺めるレオンさんは、本当に父様の制服が似合ってます。
まるで、ぴったりレオンさん用にあしらえたかのような・・・。

「そうですね、やることがなければ私の仕事場に来ませんか?」

「君の仕事場・・・って、聖マーナ医療部隊? よそ者が行っても大丈夫なの?」

「はい、その服ならバッチリです。人手不足ですし、包帯が巻ければ十分です。」

「まぁ、傷の手当なら得意だけれど・・・。」

「じゃあ決まりですね。お金ももらえますし、情報もありますよ。」

うん、レオンさんならきっと大丈夫です。
だって、なんとなく父様に似てますから・・・。
昔、父親が生きていたころを思い出し、フィオナは少し目を伏せた。
そして、思い出の中の父親にそっと話しかける。
父様。私は、幸せに生きていますよ・・・。
それから軽く祈りを捧げると、フィオナは立ち上がった。

「では行きましょう、レオンさん。すみませんが、いきなり遅刻です。」

「はい? ・・・まぁ、いつものことなんだろうけど・・・。」

「わぁ、失礼ですね。三日に一度くらいですよ。」

「いや、それは・・・うん、なんでもない。ごめん。」

うん、わかってくれればおっけーです。
さて、ではそんなわけで今日も張り切っちゃいましょう。
フィオナは自分なりに気合をいれると、レオンを引き連れて仕事場へと急いだ。


―月の聖域、by,月夜霊―


動き出した・・・ね。
静かな夜の湖の湖畔で、月夜霊はゆっくりと目を開けた。
動くものは、ただ自分のみ。
静と闇とに包まれた空間は、彼以外はとても入り込めない、月夜霊だけの聖域だった。

「やれやれ・・・やっかいだね。僕が直接干渉できれば速いのにな。」

相変わらずの無表情でそうつぶやくと、少年は静かに右腕を上げた。

「だいたい、神ってやつは自分じゃ何もできやしない。なんなんだろうな、僕たちは。」

つぶやくと同時、握っていた右の手のひらを開く。
前方に突き出された腕から、光のカケラが舞い散った。

「ごめんね、レオン。僕には、君という器が必要なんだ。」

光のカケラはくるくると月夜霊の回りを数回舞うと、静かな湖の底へと消えた。

「せめて、君に月の恩寵を。どうか・・・間に合ってくれ。」

人間たちは神に祈る。
なら、僕は誰に祈ればいいのだろうか。
月夜霊は静かに目を閉じると、ただひたすらに祈りを捧げた。


―光の聖域、by,ヒュギエイア―


「これで、とりあえずは・・・ね。」

ヒュギエイアは魔法の手を休めると、一息ついて座り込んだ。
額の汗を拭い、乱れた呼吸を整える。
月夜霊の器と自分の器を共感させ、共に行動させること。
運命を操る、といえば速いだろうか。
ようするに、人の無意識を操って行動させたのだ。
レオンがなんとなくフィオナを放っておけなかったり、
フィオナが無条件でレオンを信頼したのはヒュギエイアの魔法のせいだった。
決して簡単ではない大魔法で、人の構造を知り尽くしているヒュギエイアにしかできないうえ、成功率は極めて低い。

「あとは、月夜霊の器に頼るしかないわね。」

月夜霊が感じたのと同じ敵の動きを、ヒュギエイアもまた感じていた。
悠久の魑魅魍魎は、ここに来る。
神の器を潰すために・・・必ず。

「できれば、天照の器たちも合流させたいけれど・・・。」

距離的には難しいだろう。
神という存在は、世界に直接干渉することはできない。
世界そのものを構成している自分たちがヘタに動けば、均衡が崩れて崩壊してしまうからだ。

「できることは・・・他にないのかしら。なんて、無力・・・!!」

血がにじむほど拳を握り締めると、ヒュギエイアは目を閉じた。
ずっと、願い続けてきた希望。
どうか、もう一度・・・人の子らに、幸福を。

「お願い、フィオナ。あなたに・・・光の加護を。」

自分が神だということも忘れて、ヒュギエイアは心底から祈りを捧げた。



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