希望が生むモノ



―ベルクヘヴン帝国、幻影の城―


歪んだ空間に、闇の城が浮かび上がっていた。
唯一の光である雷撃が美しく舞い踊り、暖かい風は葉の無い木々を揺らして歌い声を響かせる。
暗く、けれども騒がしいその空間は、不思議な魅力に満ちていた。

「ふむ、天照か。久しいな。」

闇の城の庭、その中央で稲妻のダンスを眺めていた老人は、懐かしい気配を感じて振り向いた。

「本当に、お久しぶり。相変わらず元気そうね。」

闇に包まれた空間に、異質の声が響いた。
次の瞬間、その場の空気を引き裂いて、世界を照らす光があふれ出す。
激しく、そして何よりも暖かい光が闇の城を照らし出した。
やがて少しづつ光が収まると、そこには太陽の神が立っていた。
天照は親友の姿を見て嬉しそうに笑うと、ゆっくりとした口調で話しかけた。

「今晩和、エア。あなたの守護者も元気?」

「うむ、今度の器は優秀じゃよ。あと一週間ほどで同調できそうじゃ。」

知謀と策略の神、エア・レイディスは静かに答えた。
オリス・ルートに存在する神々の中でも最年長の彼は、長老らしい落ち着きを崩したことがない。
さて、じゃあエアはどんな反応をするのかな?
アマテラスは楽しそうに笑うと、単刀直入に絶望を叩きつけた。

「エア。神破奴に昨日、悠久の魑魅魍魎が出現したよ。」

「・・・、そうか。まぁ、そういう時期じゃろうな・・・。」

アマテラスが期待したほどの反応もなく、やはり落ち着き払ってエアは答えた。

「修行が足らんな。表情に感情がですぎじゃ。」

「ぁ・・・。」

本当に残念そうなアマテラスを見て、エアがそんな突っ込みをいれた。
ちょっと反省。
・・・はい、おしまい。

「で、そういう時期じゃ・・・って言うのは?」

反省しても表情を消すようなことはせず、興味津々な笑みで少女は尋ねた。
エアはやれやれ、とため息をつくと、穏やかな表情で説明を始めた。

「よいか、光の隣には闇がある。」

「うん、あるね。」

「太陽の裏には月がある。」

「うん。私と月夜霊だね。」

「しかし、それらは決して平行には存在しないのじゃ。」

「そうなの? よく表裏一体とか、二つで一つとかって言うけれど?」

「光があるから、闇がある・・・じゃな? しかしな、平行とは同時に逆も成り立つ時を言うのじゃ。」

「逆が?」

「闇があるから光があるか? 光から生まれるのが闇なのじゃ。」

「うーん・・・。そう、だね。光がなかったら・・・そもそも闇は存在できないもの。」

「そして、太陽は月よりも先に生まれた。太陽ができたから、月ができたのじゃ。」

「ふむふむ・・・まぁ、私がお姉さんだしね。で、つまり?」

「今回のことも同じじゃ。二千年・・・待ち続けた希望があるから、絶望も生まれた。」

「あー・・・なるほどね。予想がついてれば驚かないかぁ。」

「おい・・・時期の話じゃろう。どこで納得しておる?」

「へ? あ、あはは〜。」

少し長い説明だったから、主旨を忘れてたよ。
うん、反省しなくちゃ。
・・・はい、おしまい。
アマテラスの表情から正確無比にその心を読み解くと、エアは続きを話しはじめた。

「絶望からは何も生まれない。じゃが、希望は無限の力を引き出す。絶望も生まれるが、負けはしない。」

「うん。絶対、絶対負けないよ。」

「じゃが、絶望の後押しをする存在がある。」

エアの穏やかな表情が、少しだけ堅くなる。
それを感じ取ったアマテラスの表情はわかりやすく変化する。
闇の城を、稲妻の舞いが一瞬だけ照らし出した。
次の瞬間、歌っていた枯木や、風たちも行動を停止する。
完全なる闇と静寂が、にぎやかだった空間を一瞬で支配した。

「来たか。やはり、まずはヒュギエイアじゃな・・・」

重苦しくなった空間の中で、穏やかなエアの声が響いた。
敵の動きを感じてその目的と思想を読み取り、対策を一瞬で導き出す。
こと知謀と策略において、エアの右に出る者はいない。

「ツクヨミ・・・大丈夫だよね。お願い、間に合って。」

やはり敵の動きを感知したアマテラスは、誰にというわけでもなく祈った。

「祈るのはまだ速いぞ、アマテラス。やることを全て終えてから・・・祈るのはそれからじゃ。」

「そう、だね。サラちゃん、とても申し訳ないけれど・・・はじめよう。」

「我が器よ・・・もう少しだけ、頑張ってもらうぞ。」

再び風がざわめきだした闇の城で、二人の神はそれぞれに光を纏って消えた。

「あなたに、太陽の恩寵を・・・」

聖域と世界の境界を走りながら、天照はサラに加護を送った。
祈りの言葉は祝詞と呼ばれ、言霊と同じく不思議な力を持つ。
悠久の大地に眠る神に、私の願いは届くかな・・・。
しばらく走り続けた後、天照は世界へと飛び出して行った。


―ベルクヘヴン帝国、by,ヴォルフレッド―


激しい怒号が飛び交っていた。
重い金属音が響き渡り、馬のいななきは天を突く。
風はことごとく熱風に変わり、大地は焦土と化す。
形勢は・・・圧倒的だった。
剣と魔法と血の飛び交う戦場を、少し離れた丘の上で冷静に眺めている少年がいた。
頭をフル回転させながら、戦場全体の状況を正確に把握する。

「ドラを3回、2番拍子で。それで終わるよ。」

冷静に戦場を見つめたまま、少年はつぶやいた。
隣にいた従者がそれを聞いて走って行く。
時間にしてわずか数秒後、大きなドラの音が戦場に響き渡った。
帝国軍の右翼、左翼の部隊がそれを聞いて動き出す・・・。
それからわずか十数分後、敵軍3千の死体が戦場に転がった。

「今回も見事な大勝利ですな。我が軍の被害は敵軍の10分の1に満ちてませんよ。」

「いいや、最初からこっちの数が多かったからそう見えるだけだよ。」

部下からのいつものお世辞に、少年は無表情に答えた。
そして、血塗られた戦場に勝利の声が響き渡るのを聞きながら目を伏せる。
誰もが敵軍の全滅を喜び歌う中、ただ一人の想いだけが冥界の狭間を飛んだ。
死ねば、何も残らない。
敵だって、味方だって、そのどんな想いも・・・それでお終い。
だから、せめて来世では・・・幸せを。
心の中ですべての死者の冥福を祈ると、少年は背を向けた。

「あれ? ヴォルフレッド軍師、どちらへ行かれるのですか?」

「ああ、ちょっと疲れたから先に帰るよ。将軍にはよろしく言っておいて。」

背中にかかる部下の声に、少年は振り向かずに答えた。
そして、この丘に戻ってくる自軍の波に逆らって歩いていく。
もう見慣れてしまった戦場の跡にたどり着き、少年はようやく立ち止まった。

「これだけの人が死んで、傷ついて・・・今回の戦で、何が得られただろう?」

悲惨な状態になった人のカケラを眺めながら、ヴォルフレッドはつぶやいた。
これだけの命に見合うもの。
これだけの犠牲に代わる戦果。
一体、僕は何を手に入れられたんだろう・・・。

「あ・・・ぐ・・・。」

戦場に転がる人の部品が、うめき声をあげた。
両足と片腕を失ったソレは、残った腕で必死に何かを探していた。

「何を、探しているの?」

ヴォルフレッドが目の前まで近寄ってしゃがみこむと、ソレはビクっと体を震わせた。
着ている鎧は・・・敵軍のものだった。

「ぐ・・・あ、がはっ!」

ソレは必死に剣を探そうとして、盛大に血を吐いた。
その血を浴びながら、ヴォルフレッドはソレの鎧に手を入れる。

「これ、ペンダント・・・だね。」

「かえ、せ・・・。」

手を引き出した時、少年が手に持っていたのは・・・血で真っ赤に染まったペンダントだった。
開閉式で、中には美しい女性の肖像画が入っていた。

「・・・」

「やめろ・・・がふっ、ぐ、ぅ・・・。」

少年の持つペンダントを取り返そうと手を伸ばし、ソレは再び血を吐いた。
そして、そのまま体を激しく痙攣させる。

「せめて、来世では・・・幸せに、なって。」

動かなくなったその手にペンダントを握らせると、少年は天を仰いだ。

「こんなにも強い想いなのに、どうして・・・届かない。」

たった今、目の前で死んだ敵軍の兵士。
名前も知らない、ただの雑兵。
だけど、片腕だけになってもなお・・・ペンダントの中の女性を求めていた。
どんな想いだっただろう。
僕に、それを奪う権利が・・・あるはずないのに。

「どうして、人の想いは、命は、こんなにも安いんだ。」

どんなに強く想っても届かない願い。
どんなに強く願っても叶わない希望。
人は・・・こんなにも弱くて脆い。

「その全てを奪って来た僕は、これからも奪い続けるのか・・・。」

遠く、離れた場所で戦場を眺め・・・多くの人を殺す。
それが、軍師である僕の仕事。
だけど、僕は―
天を仰いだ少年の頬を、暖かい水が走り抜けた。
赤い水で染まった戦場に、汚れない透明な雫が舞い落ちる。

「涙、か。なんで今頃・・・とっくに涸れたと思っていたのに。」

何もしゃべらない人のカケラに囲まれて、少年は独り幸せを歌った。
静かで、とても悲しい歌声は寂しく流れていた。





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