森の休息





―戦場の森、by,レオン―


森の空気は清々しく、とても美味しい。
ざわめく木の葉、歌う小鳥、騒ぐ虫たち。
森にあふれる命は皆、精一杯に自分を歌っている。
近くを流れる川のせせらぎも、時折吹く風のささやきも、まるで生きることの喜びを歌っているかのよう。
夏の日差しは森の木々で遮られ、わずかに漏れる木漏れ日は優しく空間を照らしていた。

「はい、これで応急処置はおしまいです。お大事に。」

「ああ、すまない。これでまた、戦える。」

傷ついた兵士の手当を終え、レオンは額の汗を拭った。
マーナから少し離れた、戦場の森にある小さな建物。
ここは、聖マーナ騎士団の仮医療施設だった。
前線で戦う兵士のうち、比較的傷が浅い者の治療を行う場所なのだそうだ。

「レオンさーん。とりあえず一段落ついたようなので、お茶にしませんか〜。」

「そっちも一段落ついたか〜。了解、すぐ行くよ。」

違う部屋のどこかから、フィオナの声。
聞いた話によると、今日は魑魅魍魎狩りがあったらしい。
そのためにいつもよりケガ人の数が多いということだったが、それもようやく一段落だ。
俺のほうも、今の兵士が最後だったのでちょうどよかった。
でも、お茶・・・って、どこで飲むんだろう?
返事はしたもののあてがなく、施設の中を見回してみると、手当のすんだケガ人が大勢いた。
ずっと休む暇も無く手当を続けてきたレオンだが、手当をしたのはほんの一部にすぎない。
魑魅魍魎狩りでこんなに忙しくなるなら、戦があった時なんてお茶を飲む暇もないんだろうね・・・。

「そうそう、お茶だよ。・・・外かな。森は気持ちいいし。」

もともと小さな施設に、ケガをした兵士があふれているのだ。
とてもこの中でお茶を飲むとは思えなかったので、レオンは外にでてみた。

「くはぁ〜! ふぅ、森は気持ちいいね、本当に。」

森の美味しい空気を思いっきり吸い込み、少しづつ吐き出す。
血の匂いがしない新鮮な空気は、ただそれだけで心を和ませてくれた。
やっぱり休憩は外だよね。
外は、こんなにも気持ちがいいもんな。
伸びをしたあとに見回してみると、やはり数人の医療部隊の人達。
そして、予想どおり外で待っていたフィオナがお茶を持ってきてくれた。

「どうもお疲れさまでした。ホント、レオンさんがいてくれて大助かりです。」

「ああ、ありがと。まぁ・・・傷の手当は慣れているからね。」

優しくほほ笑むこの少女に、なんだか心も癒される。
こんなにとろくて大丈夫かと思ったけど、フィオナにはぴったりの職業かもしれないなー。
差し出されたお茶を受け取りながら、もちろん口には出さずに思ってみる。
そういう効果を狙っているわけではないのだろうが、フィオナのそばにいるとなんだか落ち着く。
強いわけでもないだろうに、なんだか安心できる。
こういうのも、きっと才能なんだろうね。

「ああ、やっぱり慣れてました? なんか上手だなーとは思ったんですよ。」

「ま、ほとんど自己流なんだけどね。俺もよくケガするから。」

「わぁ、気をつけないとダメですよ? ケガは痛いですから。」

「フィオナもね。転ぶと痛いから。」

「ぁぅ・・・やっぱりレオンさんはいじわるでした。」

今朝出会って、まだ半日程度なのに妙になじんだ会話。
むー・・・本当に相性がいいのかもしれないなー。
お茶を飲みながら隣のフィオナを眺めてみると、彼女はお茶を置いて手帳を取り出していた。
くせなのか、好きなのか、彼女はいつもメモ帳を持ち歩いているらしい。
んで、また何かをメモする気か。
・・・こうしちゃえ。
正しいことを言ったのにいじわると言われて、ちょっと反撃。
レオンは、フィオナがペンを取り出そうと頑張っている隙に、メモ帳を取り上げた。

「あ〜! 返してくださいよ〜。」

「えっと、どれどれ〜? 水無月壱の日、今日は街の商店街でまた転んだ。・・・本当にいつも転んでるな。」

「わ〜! ダメです、読んじゃダメです〜!!」

予想どおり、すごく慌てたフィオナがメモ帳を取り返そうとレオンに手を伸ばした。
片手にお茶を、片手にメモ帳を持ちながら、レオンはそれを器用にひょいひょい避ける。

「あ〜、お茶が美味しいな〜。」

「ぁぅ〜! 読まないなら返してくださいよ!!」

「じゃあ読むよ。え〜っと・・・」

「やめてください〜。ごめんなさい〜。」

必死で追いかけるフィオナをよそに、レオンは逃げながらお茶を飲む余裕。
う〜ん・・・、本当にとろすぎ。
適当に捕まるつもりだったのに、全然捕まる気がしないな。

「えっと・・・そろそろ捕まえてくれないか。飽きた。」

「ぁぅ〜! レオンさんが速すぎなんです!!」

「いや、フィオナがとろすぎ。」

「くきぃ〜!!」

実際、レオンはもうほとんどフィオナを見てすらいなかった。
速度も街を普通に歩く程度。
ただ音と気配を感じとり、さらに先読みをしてその場で回転しているだけ。
ぉぃぉぃ、これでも捕まらないか。

「・・・ごめん。返すよ。」

「はぁ、はぁ・・・。もう、ひどいです!」

「いや、ホントにごめん。」

フィオナが息切れまでしてきたので、結局レオンのほうが止まることにした。
これ以上やると、ホントに嫌われそうだ。

「ふぅ・・・ああ、本当にお茶が美味しいや。」

フィオナにメモ帳を返すと、レオンは適当な切り株に座って、改めてお茶を味わった。
初めての種類のお茶で、ほのかに甘い香りがすごく気に入った。

「おかわりはいかが?」

「あ、どうもすみません。いただきます。」

しげしげとお茶を見つめていると、医療部隊の一人がお茶のポットを運んできてくれた。
やっぱり医療部隊というだけあって、優しい人ばかりだな〜。

「ね、レオン君だっけ。ちょっと私達とお話しない?」

「あ、はい。何でしょう?」

「こっちに来て。私だけじゃなくてね、みんな話を聞きたがってるから。」

「・・・へ?」

みんなが、俺の話を?
お茶を注いでくれた女性がこっち、と指さす方向には、本当に大勢の医療部隊の人達。
みんな何故かこっちを見ていたりして。
まぁ、俺は突然フィオナが連れて来た、見覚えない怪しい男その一だし。
聞きたいことがあっても仕方がないといえば仕方がないけどね。

「はい、じゃあそちらに行きますね。」

「ありがとう。じゃあ連行しま〜す。」

「わー、レオンさんとリンさん待ってください。」

と、メモが終わったのか、後ろからフィオナの声。
えーと、この状況だとおそらく・・・

「えーと、ちょっといいですか。」

「え?」

リンというらしい女性に一言断ると、レオンは女性が伸ばした手をかわし、振り向いた。
そこには予想どおり、メモをしまい、慌ててこちらに駆け寄ろうとするフィオナの姿。
うん、半日しか一緒にいないのに・・・ここまで行動の読みやすい相手もめずらしい。
で、おそらくこの後は・・・

「ぴぎゃ・・・」

「おっと、やっぱりか。」

そして、予想どおり、つまづいて転びそうになったのを受け止める。
まったく、なんでこうも簡単に転べるんだか・・・。
フィオナらしいけど。

「あ、レオンさん。どうもです。」

「はい、どういたしまして。」

「器用ですよね・・・すごいです。」

「ああ、どうも。早くちゃんと立ってくれるとありがたいけど。」

「あ、ごめんなさいです。ん・・・しょっと。」

左手には投げ出されそうになったメモ帳、左腕で抱くようにフィオナ。
右手にフィオナがこぼしそうになったお茶、頭の上にはとっさに乗せた自分のお茶。
うん、お茶を頭に乗せてるあたりは自分でも器用だと思う。

「うん・・・やっぱり転ぶのはいたいので、こうしちゃいましょう。」

「・・・ぇ。いや、ちょっと待った!」

態勢を立て直したフィオナは、何を思ったのかまたレオンの腕をとった。
街でもそうとう恥ずかしかったのに、こんな人のいるところでやるなー!
仕事仲間でしょーが! 誤解されるでしょーが!!

「お茶。それと、手帳。」

「あ、そうでした。」

とはいえ悪気のない相手に強くは言えず、遠回しに腕をはずさせる作戦をこころみる。
いや、まぁ俺も嬉しいっちゃ嬉しいしいんだけどね・・・。
というわけで、お茶と手帳をフィオナに手渡す。
これで、一応両手を塞いだわけだ。

「・・・あれ。でもこれじゃ腕組めませんけど。」

「ああ、そうだね。気をつけて歩きなよ。」

ただ右手の手帳をしまえばいいのだけれど、フィオナは気づかないみたいだ。
ふぅ、予想どおりの反応。
作戦成功・・・っと。

「じゃあ彼に組んでもらったら?」

「・・・はい?」

さぁ、これで堂々と医療部隊の人達のところへ・・・と振り返った時。
先程の女性が、なんかみょうに嬉しそうな表情でそこに立っていた。
いや、それはまぁいい。
でもなんか今、不思議な発言をしませんでしたか?

「あ、リンさん頭いいです。というわけでレオンさん、よろしくお願いしますね。」

「・・・いや、ええ?」

「嫌ですか?」

「別にそういうわけじゃないけど・・・」

なんか、やっぱり思考回路がずれてるよなぁ・・・フィオナ。
今のリンさん、絶対に誤解してるぞ。
というか、医療部隊ってほとんど女性なんだよな・・・話が聞きたいって、まさかフィオナと俺のか?
いや、なんか変な誤解がないか!?

「はい、じゃあ決まりですね。レオンさん、腕組んでくださいよ〜。」

「え? いや、ちょっと・・・」

「ほらほら、早くこっちにきて話を聞かせてよ。」

「ええー!? 話ってリンさん、たぶんそれは誤解で・・・」

「あ、手帳をしまっちゃえばいいんですね。よいしょっと。」

「うわ、気づいた!?」

「なんだ。彼のほうから腕を組んで欲しかったのに。」

「いや、だからリンさん、それは・・・」

「じゃあ行きましょう。目的地はすぐそこです。」

「そりゃ見えてるからね・・・ってそうじゃなくて!!」

「フィオナ、連行しなさい。」

「はーい。よいしょっと。」

「うわ、フィオナ! 腕は絡ませなくていい―」

と、騒ぎまくっていたその時。
三人の隣にある茂みが、ガサガサと音をたてた。

「あれ? どなたかいらっしゃいますかぁー?」

ガサガサと鳴り続ける茂みに、フィオナが呼びかける。
とりあえず危険な気配はしないが・・・これは―

「血の、匂いだ。しかも濃い。」

「血の匂い・・・です?」

「ああ。俺の経験からすると・・・これは、相当やばい傷を負ってる人間の気配だ。」

そうレオンが言うのと同時、茂みの奥からでてきたのは・・・血まみれになって足をひきずる兵士だった。




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